死を前にしたひとのこころを読み解く 緩和ケア÷精神医学**医学書院/森田 達也/978-4-260-05606-9/9784260056069**

販売価格
2,750円(税込み)
編著
森田 達也
出版社
医学書院
分野
 
臨床看護 一般

数量

特集
新刊
販売期間
2024/08/09~
商品コード
9784260056069
発行 2024年8月
判型:A5判 264頁
ISBN 978-4-260-05606-9

著:森田 達也 / 明智 龍男

精神医学を超えて、緩和ケア臨床の混沌を探しにいく

終末期の不安やうつは治療できる? 患者の「自己決定」は本当にある?
──死を前にしたとき、ひとのこころには予測不能な現象が起こる。
精神医学はそれをどうとらえるのか。緩和ケアは何を、どこまで、できるのか。その先の混沌を探る、緩和ケア医と精神科医の濃密かつ親密なダイアローグ。

【目 次】
Part I 死を前にしたひとのこころ
 1 精神科医がみる不安と抑うつの本質──悪いことなのか?
   prologue
   精神医学の常識
    死を意識したときのこころの動きは、不安と抑うつに整理される
    不安や落ち込みのある患者さんには、感情そのものに「手を当てる」イメージでかかわる
   精神医学を超えて
    適応障害(disorder)は病気という意味合いは少なく、適応反応症(disability)と呼ばれるようになった
    不安と抑うつには合理的な・有用な面もある
    終末期で注意が必要な精神疾患は、うつ病のみである
   まとめ
   epilogue

 2 終末期の「うつ病」──何はすべきで何はすべきでないか?
   prologue
   精神医学の常識
    自殺の背景には、まずうつ病がある
    うつ病による健康損失への影響は、がん以上である
    うつ病は治療が可能であり、がんでもうつ病は治療対象にすべきである
   精神医学を超えて
    終末期ではうつに対する積極的な治療が害にしかならないときがある
    うつ病に「幻覚剤」がありかもしれない
   まとめ
   epilogue

 3 終末期の「死にたい」──合理的自殺はあるか?
   prologue
   精神医学の常識
    あって普通の「死にたい」と、精神医学的症状とみなせる「死にたい」がある
   精神医学を超えて
    終末期の「死にたい」背景は、精神医学の一般診療とはまったく異なる
    コタール症候群の「死ぬことすらできない」という妄想は底知れぬ苦痛である
    精神医学からみても合理的な希死念慮や自殺はあり得る
   まとめ
   epilogue

 4 「スピリチュアルペイン」と呼ばれるもの──行きすぎた医療化?
   prologue
   精神医学の常識
    精神医学にスピリチュアルペインという概念はない
    精神医学の診断基準でスピリチュアルペインに近いものは、うつ病か適応障害になる
   精神医学を超えて
    スピリチュアルペインに似たものを扱った精神療法群がある
    スピリチュアルペインは解決しようとせず、そうなんだ、と感じられることが目標になる
   まとめ
   epilogue

 5 防衛機制と呼ばれるもの──置き換えられた怒りと投影された誰かの問題
   prologue
   精神医学の常識
    怒りは防衛機制の「置き換え」としてみられる
    怒りは信頼されているひとに向けられやすい
    投影は、真の問題が誰のものなのかをみえにくくする
   精神医学を超えて
    患者に自分の問題を投影している場合、「患者の問題」は実は「自分の問題」である
   まとめ
   epilogue

 6 悲嘆──死別後の悲しみも「病気」なのか?
   prologue
   精神医学の常識
    死別は最も深刻なライフイベントである
    死別後の抑うつは従来うつ病から除外されていたが、うつ病と同じく扱われるようになった
    長引く悲嘆として「遷延性悲嘆症」の精神科診断名が加わった
   精神医学を超えて
    診断基準は精神疾患を科学的に研究する手段として有用だが、絶対的なものではない
    専門家の中にも悲嘆(喪)を精神医学的診断として医学化しすぎているという批判がある
    うつ病の診断を満たしても「正常反応」とみなすべき死別後の悲嘆はある
   まとめ
   epilogue

Part II 死を前にしたひとのこころを支えるための方法
 1 支持的精神療法と共感──この最も困難なもの
   prologue
   精神医学の常識
    支持的精神療法はこころを診療するとき基本となるものである
    共感:「本当にわかる」ことではなく、「理解しようと努力する態度や姿勢」のことである
    傾聴:「承った」程度に聞くのは見せかけの「ケイチョウ」に過ぎない
    精神療法においては、声や表情などの非特異的要素が思いのほか大切である
   精神医学を超えて
    終末期では治療枠組みは柔軟にするべきで、「ひととひと」としての対話が多くなってよい
   再び精神医学の常識
    ボーダーライン心性のある患者さんとは、少し距離をおいた対応がよい関係を築ける
   まとめ
   epilogue

 2 ディグニティセラピーと世代継承性──しかし、死はずっと見つめることはできない
   prologue
   精神医学の常識
    ディグニティセラピーは世代継承性に対する精神療法として海外で広い患者層に適用されたが、日本では狭かった
    「残したいもの」があるひとには、ディグニティセラピーがよいケアになる
   精神医学を超えて
    ひとは死にずっと向き合い続けられるものではない──太陽と死はじっと見つめることができない
   まとめ
   epilogue

 3 ACTというケア──どうしようもないことは手放して、いまここを大切にすることの価値
   prologue
   精神医学の常識
    ACTは、「どうにもならないことは手放して、いまここの価値があることに集中する」精神療法として登場した
    進行がん患者さんの診療は、問題解決的思考だけでは対処できないことが多い
   精神医学を超えて
    終末期ケアにおいてACTから学べることには、「医療者としての無力さに自覚的になる」ことも含まれる
    自分でどうしようもないことは手放して、いまここで価値を感じることに集中することは、終末期を生きる助けになり得る
   まとめ
   epilogue

Part III 患者・医療者関係と意思決定
 1 精神医学からみた意思決定──「患者の自己決定」という思い込み?
   prologue
   精神医学の常識
    意思決定における精神医学の役割として、意思決定能力の評価がある
    「生き方」による治療拒否では、意思決定能力の評価という観点からの精神科医の役割は限定的である
   精神医学を超えて
    終末期では自律を柔軟にした緩和的パターナリズム(palliative paternalism)という優しさが必要である
    インフォームド・コンセントは、患者さんの選択に見せかけたマイルドカツアゲになっていることがある
    ヒポクラテスの誓いのほうが、自己決定に見せかけたカツアゲよりよい
   まとめ
   epilogue

 2 精神医学からみた病状理解とACP──ひとは将来を考えられるのか?
   prologue
   精神医学の常識
    多くの患者さんは病状を正しく理解していないが、背景にある否認(希望)はあって当たり前のものである
    終末期における否認は適応的なことも多く、「希望」といってもよい
   精神医学を超えて
    人間は加齢とともに楽観的になっていく──本来はよいことでもある
    終末期(人生の最終段階)が近づいてきたからといって、突然「現実をしっかりみる」方向転換はできない
   まとめ
   epilogue

あとがき